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木屋瀬宿・旧高崎家住宅【伊馬春部生家】(いまはるべせいか)
高崎家は屋号を柏屋(カネタマ)といい、本家柏屋(カネシメ)の7代目高崎四郎八(1795年〜1865年)が分家して創立した家です。本家のカネシメは詩人、歴史学者として有名な頼山陽(らいさんよう)が立ち寄ったこともある土地の豪商です。分家の創立時期や家督相続の時期は明確ではありませんが、少なくとも天保7年(1836)よりは遅くない時期です。四郎八は文政8年(1825年)から町年寄約を務め、翌年には大庄屋格に任ぜられています。カネタマは嘉永(1848年〜1854年)の頃には板場(絞蝋業)を経営し、明治...
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2009/11/08 08:54 |
木屋瀬宿・村庄屋跡&今日の午後は有楽町です
木屋瀬には、村全体を統括する村庄屋、旅籠など宿内を統括する宿庄屋、川船を管理する船庄屋の3つの庄屋がありました。 松尾家は問屋場の人馬支配役となった後、安政5年(1858)に村庄屋を務めました。明治のはじめには、鞍手郡木屋瀬村の戸長を命じられいます。また、当家は本陣被災の際の避難所(「非常之節之御立退所」)の一つでもありました。(八幡西区ホームページより)
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2009/11/07 08:27 |
長崎街道・木屋瀬宿・船庄屋跡(ふなじょうやあと)
江戸時代、木屋瀬には年貢米の積み出し所や渡し場がありました。遠賀川では「川ひらた」と呼ばれる川船がさかんに運航していましたが、年貢米を運ぶ権利を持つ川船を管理していたのが船庄屋です。梅本家は江戸末期24艘の預かり船庄屋で、当時は油屋(ヤマシモ)と号し、酒醸造業を営んでいました。明治に入って醤油醸造業に代わり、昭和10年代まで続いた家です。(八幡西区ホームページより)
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2009/11/06 09:12 |
長崎街道・問屋場(といやば)跡
飛脚、荷物の受付や発送、駕籠・馬、人足等の調達・斡旋をしていました。現在の郵便局・旅行社・運送会社を兼ねた機能を持つ半官半民の組織で、問屋役の補佐として問屋下役、年寄等の役もありました。明治5年2月、政府より野口甚平が江戸期より引き続き木屋瀬宿人馬問屋役を拝命しました。この場所は当宿場内で一番高台の位置にあり、水害などの災害に備えていました。当時の名残としては、問屋前は荷解きのためか道路幅が広く、街道沿いに飛脚井戸があります。郵便所開設は、北九州では小倉に次いで2番目で、当時問屋がいかに重要であ...
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2009/11/05 08:12 |
長崎街道・木屋瀬(こやのせ)宿お茶屋(本陣)跡
お茶屋は福岡藩の別邸であり、大名・公家・役人などの休泊に使用されていました。総建坪は約190坪ありました。以前は町茶屋と接したところ、現在の木屋瀬宿記念館の場所にありましたが、現在は永源寺に保管されています。
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2009/11/04 08:03 |
長崎街道・木屋瀬宿&今日は東京です
木屋瀬(こやのせ)宿は、長崎街道の筑前六宿のひとつとして栄えた歴史をもつ宿場で、遠賀川を渡り西に向かう赤間道と陸路を南に向かう長崎街道との追分宿でした。 西構口から約900メートルの街道筋、鋸歯状の家並み、古い町家、庄屋屋敷など多くの宿場の香りを今に残しています。中央部の本陣に矢が射られないように、本陣の近くで道は「く」の字に曲がっています。町家は、街道に並行しておらず、のこぎり刃状に建てられています。この造りは、家影に隠れながら、外敵に矢などを放つためのもので「矢止め」と呼ばれていました。街道...
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2009/11/03 09:13 |
今日の午前中は藤沢です
3泊4日の研修のための九州への旅行も無事に終わりました。作問について初めての講師でしたが、なんとか無事に終わりました。大学の友人との再会、レンタカーでの長崎街道木屋瀬宿、唐津街道赤間宿、九酔渓、九重夢大吊橋、やまなみハイウエー、大分城址の見学、大分珠算連盟の先生方に連れて行って貰った臼杵石仏群等たくさん見学しました。食べるものは、フグ刺し、関サバ、関アジ、瓦そば、ごまだしうどん、博多ラーメンと美味しいものばかりで、本部からの交通費、講師料、資料印刷代を貰って自分の持ち出しはなしで充実した4日間で...
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2009/11/02 08:55 |
別府、博多経由で帰宅です
2日間の講習会は夕方までまだ半分残ってますが、飛行機の都合もあるので早目にホテルを出発しました。今博多行きのソニック16号の中から書き込みをしてます。博多まで約2時間で、福岡空港から羽田空港までと同じくらい時間がかかります。今(10時すぎ)小倉ですがこのソニック号は、小倉で進行方向が変わるので、自分で座席の向きを変えます。あまり電車に乗らないので、初めての経験です。今(1時)福岡空港で博多とんこつラーメンを食べました。隣の人が紅生姜と高菜の漬物みたいなものをラーメンに入れていたので、真似をして入...
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2009/11/01 09:40 |
今日は九州別府です&臼杵石仏(磨崖仏)うすきせきぶつ(まがいぶつ)
今日は別府の花菱ホテルにて開催される日本珠算連盟主催の珠算指導者講習会で作問法について講師を務めます。検定審査内規等での講師はありますが、作問については初めてです。うまくいくでしょうか?
昨日は大分珠算連盟に先生の案内で、懇親会のまえに臼杵石仏(磨崖仏)うすきせきぶつ(まがいぶつ)を見学して来ました。さすがに国宝に指定されだけあって見事なものでした。
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2009/10/31 06:51 |
今日は九州大分です
今日は、大分商工会議所3時集合なので歩行者用吊橋としては、高さ、長さ日本一の九重夢大吊橋でも行こう思い何も調べずに博多駅まで来たが6時24分まで特急電車がないので今駅から書き込みをしてます。普段電車に乗らないので、良く分からないが飛行機の中でるるぶを読んでいたら、2枚切符というのがあり往復買ったら11000円のところが6000円になりました。駅員さんに聞いたらそうでもしないとバスに勝てないとのことでした。今特急スニック1号が入ってきましたので行って来ます。車掌さんに聞いたら、大分着は8時42分だ...
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2009/10/30 06:28 |
今日は九州博多です
今日は31日(土)、1日(日)に九州・別府で開催される日本珠算連盟主催の珠算指導者講習会で作問法について講師を務めるために、平塚を4時30分に出て、羽田空港まで来ました。今週末は今日からの授業は全て5週目になりますので、そろばん、パソコンの授業は全てお休みにして、一足早く博多に行き、今日は大学の友人と再会します。今回の出張で飛行機のチケットは、早い時期に購入し、早い時間に搭乗するとかなり安いことが分かりましたので、8時の博多行きに乗るために、今羽田空港で朝食を食べています。いつも車で出かけるので...
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2009/10/29 06:58 |
今日の午前中は東京です
今日の午前中は、段位検定試験の関係で、東京神田の日本珠算連盟の事務局に行くので、これから出かけます。今日はそろばんコンクール、全神奈川通信珠算競技大会ん、サーキットの申し込み締め切り日で朝6時前から準備をして今やっと一部できあがりました。下級検定の成績報告も今日までで朝から大忙しです。
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2009/10/28 07:14 |
今朝の富士山
今日は台風一過の快晴で冨士山がとても綺麗に大きく見えましたので、パソコンの授業が始まる前に写真を撮ってきました。
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2009/10/27 08:38 |
藤沢・六会駅前教室
朝から冷たい雨が降っていて、なんとなく憂鬱です。検定試験も終わり、今日からそろばんコンクールの練習です。藤沢・六会駅前教室は、今まで1階で授業をしてましたが、5月から会館の都合で2階に移転しました。写真は1部の授業風景です。
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2009/10/26 08:52 |
小田原・弁財天&検定試験
日本三大弁財といわれる竹生島、江ノ島、厳島などはいずれも水辺に祀られている。小田原七福神の弁天様は、江ノ島を元宮とし「谷津に美形の弁天様がおわす」と言われ、満願の名を付した神祠は福泉寺だけである。旭丘高校から日本たばこ産業の範囲は蓮池と呼ばれ、中島があってそこには北条氏が江の島弁財天を勧請したので、戦後付近に弁財天通りなどの町名も生れた。
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2009/10/25 08:34 |
小田原城&検定試験
現在の小田原城址の主郭部分は、大久保氏時代に造営されたものである。佐倉城や川越城などのように、土塁の城の多い関東地方において主要部の全てに石垣を用いた総石垣造りの城であるが、現在のような総石垣の城になったのは1632年(寛永9年)に始められた大改修後のことである。2代藩主大久保忠隣の時代、政争に敗れ改易の憂き目にあっている。一時は2代将軍秀忠が大御所として隠居する城とする考えもあったといわれるが、実現しなかった。
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2009/10/24 08:35 |
小田原宿
小田原は江戸時代大久保氏十一万三千石の城下町を兼ねた宿場であった。箱根の山越え、関所を控えた特異な宿場として大いに栄えた。本陣.脇本陣合せて8軒は、東海道53次の中で最も多く、そして旅籠屋の95軒は県下最大であった。小田原城は、明応4年(1495)北条早雲が入城したあとわずか40年で、小規模な山城は巨大な城郭となっていた。北条五代96年にわたる善政で、町は栄え城内は賑わった。江戸時代には、関東地方の防御の要とまで言われた名城だった。城も町も大規模だった。
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2009/10/23 07:53 |
小田原・江戸口見附
一昨日アップした江戸口見附の続きの写真です。
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2009/10/22 08:51 |
今日の午前中は茅ヶ崎です&新入生
今日の午前中は、日本珠算連盟茅ケ崎支部の例会で、これから茅ヶ崎商工会議所に行きます。そろばんコンクール、全神奈川通信珠算競技大会等について話合います。
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2009/10/21 08:06 |
小田原・江戸見附・一里塚
西湘バイパスの小田原出口から国道1号線に出て小田原方面に向かうと左側に江戸見附と一里塚跡の碑がありました。江戸から20番目の一里塚です。小田原城は、天正18年(1590年)の豊臣秀吉との小田原合戦の際には、町ぐるみ堀や土塁で囲まれていたが、江戸初期にこの構造を壊して東海道を通す際に、桝形を作られた。小田原城から江戸に向かう出口であったため、江戸口見附と名づけられたそうです。
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2009/10/20 08:47 |